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  • 執筆者の写真エース栗原

第20章エース栗原回想記

2013年世界デュアスロン年代別選手権


学生時代に日本チャンピオンとなり応援を独り占めしていたかのような感覚でいた。そしてそこから落ちた瞬間に僕は勝手に応援はなくなったと、誰も応援していないとさえ思っていた。


だからこそ、僕は山梨にすんなり移ってこれたんだろう。


でも違った。


自転車屋さんに店に落ちていた部品で作られたピカピカのロードバイクを譲ってもらい気付かされた。誰も応援していなかったんじゃない。僕が応援を聞こうとすらせずに耳をふさいでしまっていたんだ。


自転車屋さんに救ってもらったこのチャンス。

絶対につぶしてはいけないんだ。もう過去の栄光からも応援からも逃げてはいけない、と自部に誓った。そしてその誓いが記してあった。

 

社会人2年目の終盤にさしかかっている11月末。


また練習ノートを書ける時が、いや「書こうと思える」時が来るのはきっと書いていた頃の気持ちとか気迫とか想いが、一度無くなりかけたヤツが戻ってきたんだと思う。


正直、社会人1年目のオレは腐った。これでもかってくらいに。

まとまったお金が毎月入ってくるという安心感に甘えていた。そしてその場限りの楽な道を選んでいた。それでいて過去の栄光を片手に競技もぼんやり続けて、それがカッコ良いとか思いながら。


でもそんな甘い世界じゃない。

競技に一途で大好きで命を捧げちゃうくらいの想いがなきゃ、生き残ってはいけない、そんな世界だ。


今年のカーフマン北関東stageが、それを痛感した。多くの学生に負け、その程度の走りをし、周りからは「しょうがない。」と慰めなのか、そんな言葉をかけられた。


しょうがないはずがない。色んなことを言い訳に真剣に熱く取り組まなかった、辛いことから逃げた結果であり、すべては自分のせいだ。

自分が導いた結果なのに、しょうがないで終わらせたら何も生まずに過ぎていくだけ…でもそうじゃなかった。またもう一度、「あの景色」が見たくなった。少なくともその景色の近くまで行きたい。


一日に甘え、一週間に甘えてる奴が、そこまで行けることはありえない。

学生の頃は、見たことない景色を求めるようにガツガツしていた。もっともっとって言い聞かせていた。練習が終わってすぐバイトのようなスケジュールでも生き生きとしていた。もちろん今はあの頃とは違うけど、生き生きは出来る。もっともっとってあの頃よりも生き生きしてみせる!


オレには出来る。

オレだから出来る。


一日一日を確実に努力していこう。

それが、いつか、そう遠くはない未来で、最高の景色を眺める日に続いている。


それだけはわかる。

わかった気でいる。


「明日やろうは、バカ野郎だ!」


栗原 正明

 

「あの景色」を見るために僕は、一番の応援者と一緒にレースに行こうと思った。

それはトライアスロンを始める前からレースの応援に来てくれていた両親だった。


世界デュアスロン選手権オタワ大会(カナダ)

年代別の出場権利を勝ちとり、両親とともカナダへ向かった。


山梨に移り、また競技をする僕の姿を見て欲しかった。

今日この日のレースは何よりも両親への覚悟を示す場所だ。


結果はもちろんまだまだ。

でも次にまた「あの景色」をみるためには一緒にみんなで見に行くんだ。自分のためだけじゃなく、応援をしてくださる方々と一緒だからこそ見れる景色があって、そこに僕だからこそできることがある。

父はいつもこうしていた。


良い成績の時は共に喜んでくれた。

悪い成績の時はそっと肩に手を当ててくれた。


母はいつも言っていた。


良い成績の時は「応援してくれた人に感謝しなさい」

悪い成績の時は「怪我しなかっただけ良いじゃない。だからこそ次のレースも出れる」



学生時代は競技をするのがメインで前に前に進むことばかりでひたすら走っていた。でも今の僕は誰に見てもらいたいかを明確にしながら進んでいこう。


目指すべきは『日本一速いアスリート』じゃない、『日本一応援の多いアスリート』だ。

そんな決意とともに走っていく2013年。

次回、2013年極寒の425km山梨~大阪ライド。


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