第4章エース栗原回想記
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  • 執筆者の写真エース栗原

第4章エース栗原回想記

更新日:2020年2月23日

フルマラソンとデュアスロンデビュー戦


〇2006年11月

フルマラソンデビュー戦

河口湖マラソン

〇2007年2月

デュアスロンデビュー戦

カーフマン南関東stage兼

日本学生デュアスロン選手権

学生オープンの部

真夏の自転車の旅を終えてからも、自転車通学、大学授業、アルバイトと大学生活は過ぎていく。


国士舘大学の恒例行事の一つに河口湖マラソン(現:富士山マラソン)があり、高校時代800mの僕がトライアスロンで10km走り、そして初めてのフルマラソン(42km)に挑戦。


寒さと緊張とでレース直前にトイレに行ってスタート位置が大幅に後ろになってしまい、号砲がなっても全く動かない。笑


そんなこんなで10kmまでは人を避けながら走り、大きな集団に合流。結果的にここはサブスリー集団だった。当時GPSウォッチなどなかった時代なので、自分のペースはよくわからない。笑



5kmごとにラップとるけど、時間の割り算は僕には無理だ。笑

トラブルが起こったのは20km地点。


『トイレに行きたい…しかも大。。。』


せっかくのサブスリー集団。

時間的にはあと90分だ。



我慢を選択する。


25km

マジでトイレ行きたい。majide

30km

マジでマジでトイレ行きたい!

35km

もう頭出てる…orz


肛門の筋肉は括約筋(かつやくきん)というだけあってだいぶ活躍してくれている。ジュゴン


40km;2時間45分

もう終わる!トイレいける!!



ゴール前300m

ゴールゲートが見えた!


と同時にトイレを発見!


ここで迷わずトイレを選択した僕。

ゴール手前でまさかのトイレ。笑

しかも和式。笑



41,8km走ったあとにう◯こ座りするリスクをこの時の僕は知る由もなかった。。90分我慢したモノを排出し、いざ立ち上がろうとすると筋肉が冷えて全く立ち上がれない。。。majide



そこから300mを錆びたロボットのようにギシギシ歩きながら、応援の方から「サブスリーなんだから走りなよ!」と言われながらフィニッシュ。



2時間55分46秒

僕の記憶では、このレースにロングのトップ選手である篠崎友選手が着ぐるみ(全身タイプの熊)でサブスリーを達成しており、『トライアスロン選手やべぇ』と思ったことを覚えている。


翌日の大学で『階段降りるのが遅い人、河口湖マラソン出場していたあるある』を体感した。

 

冬の時期のトレーニングを重ねていく中でデュアスロン競技に出会う。

「トライアスロンのスイムがランに替わって、ランーバイクーランでやる競技」


デビュー戦は昭和記念公園で開催されていたカーフマン南関東stage兼日本学生デュアスロン選手権。僕が出場出来るカテゴリーは「トライアスロンで全日本インカレの資格を持っていない選手が出場する学生オープンの部」だった。


僕の中では新人戦のような気持ち。

ここで勝てば次世代筆頭?!

なんて妄想しながら。



スタートからダッシュを決めて、まずは1stRun5km。早稲田大1年の谷澤薫平と一緒に走る。デュアスロンデビュー戦なので、1stRunラスト500mでアタックするというレース展開。笑



見事1stRunをトップで終えて、なんだか優勝した気分。笑


そして調子に乗った僕はバイクもトップのまま通過。

なんと2ndRunもそのままトップでフィニッシュ!!!ψ(`∇´)ψ

「すげぇよ!エース!!エースになったな!」



と先輩方に祝福してもらう中で他大学からは「エース?誰?」と疑問を抱かれる。

まだまだ小さなエリアの小さなエース。

そんなデュアスロンデビュー戦。


相変わらず大学生活は続いていく


次回第5章、大学2年関東インカレと全日本インカレへの道。


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