第25章エース栗原回想記
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  • 執筆者の写真エース栗原

第25章エース栗原回想記

2015年3月エース、仕事辞めるってよ。


2012年5月に山梨県に移住し、まもなく3年が経とうとしていた。

移住のしてきた時、重くのしかかっていた日本チャンピオンという言葉がまたこうして目指したいと思える心と環境になっている。


学校の先生の仕事では、高校3年生のクラスを任され進路相談や面接対策を行っていた。そんな高校3年生への総合学習の授業の時、僕は生徒たちにこんな課題を出す。


「10年後の夢を描こう」

高校3年生ともなれば嘲笑すら起こるような内容だが、僕はいたって真面目に言葉を続ける。

「小学校の時に、漠然とした夢を追っていたように、今もう一度夢を描いてみよう。そこに地位・名誉・偏見、これまでの努力は関係ない。ここから進む夢を描いてそのルートも描こう」

生徒が考えている間に27歳の僕も考えてみた。


「教員界最強のアスリートになる」

「高校トライアスロン部を強豪にする」

などなど。


いやでも、よく考えてみると教員であることを前提に考えている。

もっと壮大で、縛られていない自由な夢…



そして舞い降りて来た。




情熱大陸に出たい。

10年後の夢を見つけたら、次は中期的短期的目標の設定。

教員という前提すら無視した結果。

こんなロードマップが出来上がる。

導き出したのは教員を止めて、プロになる。


思い立ったらすぐ行動のため、2014年の仕事納めには退職を意思を伝える。

そして「よく考えて仕事始めにもう一度返事をして」と返答される。


結局僕の意思は変わらず。


「食っていけるのか?」という校長の問いに、



「食っていきます」とだけ答えた。


そして迎える卒業式。


3年間携わった生徒たちがようやく手を離れるとスッキリするような気持ちでいたけど、実際は卒業証書授与の一言のスピーチの開口一番に泣いて、喋れなくなるというパターン。笑



そして、担任をしていた3年2組の生徒たちとの最後のホームルーム。 僕も退職し、まだ誰もしたことのない地域に根付くというプロアスリートの道へ。


巣立っていく生徒たちに、自分自身に色々な想いを抱きながら僕は最後のホームルームでこう語った。


 

「恐れる」ということについて これからみんなは多くの挑戦をしていきます。 そして、その挑戦の一つ一つに必ず"成功"や"失敗"という結果が付きまといます。概ね、成功は嬉しく、失敗は悔しいと思います。そして成功を知っているからこそ、失敗するのが怖くなります。

でも失敗から得られるのは悔しい思いをすることだけではないはずです。そこには成功へのヒントがいっぱい隠されている。「失敗を恐れる」ことは誰にでもあります。むしろこれがないと何でもしちゃうってことになりかねない。笑

本当に恐れるべきは「失敗を恐れて、何もしないで過ごしてしまう」ことです。

人に与えられた時間は平等です。みんなが私の年に追いつくことはありません。見た目以外。笑

では、「失敗を恐れる」ことを少しでも減らすためにはどうしたら良いか?そのためには『仲間』が必要です。仲間に相談したり、協力してもらったりすることで、その恐れは減っていきます。

今日、この黒板に書いた絵は仲間について表したものです。別れ行く仲間に対し、言葉なきメッセージを送る場面。卒業後みんな離れ離れになって、就職や進学など進むステージが違っていても、みんなは同じ教室で高め合った『仲間』です。


またどこかで会った時、失敗に恐れた時、また高め合いましょう。

卒業おめでとう。


 

どこかこれからの自分にも言い聞かせているようだった。


それから僕は仕事を辞めて、スポンサーゼロの自称プロアスリートになった。笑


想いだけで来てしまったからこそ、改めのその想いを視覚化してみた。

そして導きだしたの活動コンセプトが


ProjectACE

大学一年生の自己紹介で名乗ったエ―スがまさかここでピッタリとハマるとは。笑


有休消化をしながらプロ(自称)となり、迎える最初のビックレース。


ここでデュアスロンの日本代表に選ばれれば、プロとしてのスタートダッシュを切れる。そう思っ静かに闘志を燃やしていた。


『オレは強い。オレは速い。』


On your mark...



次回、2015年デュアスロン日本代表選考会。


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