第10章エース栗原回想記
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  • 執筆者の写真エース栗原

第10章エース栗原回想記

2009年全日本インカレと。


トライアスロンで全国5位、デュアスロンで全国3位、確実に力を付けていく中で、自信も付けながら石垣島トライアスロンでも3位入賞を果たす。

春の学生レース初戦であるスプリングトライアスロン。前日する宿泊費も惜しかった僕は野宿を決行!22時までバイトをした後、終電で板倉東洋大前に向かう。そこから会場である渡良瀬遊水地のあずま屋に到着。宿泊場所がここ。majide


しかしこの日は春の冷たい雨。。。雨はしのげるけど、風が冷たい。。。あまりの寒さに寝る事はもちろん、横になり続けることすらできない。この寒さをしのぐ唯一の方法があった。


ウェットスーツ着用


雨で真っ暗な渡良瀬遊水地のあずま屋でウェットスーツを着て寝る男。笑

3時間ほどしか寝れずに(それでも寝れるエース)朝を迎える。そしてレース!学生のシーズン開幕戦で表彰台3位でフィニッシュ!!

誰も前日に野宿しているとは思うまい…笑

国士舘大だけど、仲良しの東海大(受験で落ちた)とともに記念写真!

大学4年の関東インカレ。前年の全日本インカレで5位入賞をしているので、インカレへのシード権はあったものの、前年の関カレの雪辱を晴らすために出場!(関カレに出場するとシード権は消失する)


結果、無事に4位入賞!!最後は岩沢選手(東海大)と共に仲良くゴール!関東インカレでは計測マットの2m先にゴールテープがあったので、ちゃんと計測マットを通過してからゴールしてます。笑

ご配慮ありがとうございます。笑

その後の東京都トライアスロン選手権でも3位入賞をしてお台場日本選手権の切符を獲得。


そして迎える全日本インカレ。

1年前とは違って、ライバル視はされており、当時の学生トライアスリート界では『先頭集団に行ける最終列車の指標となる1人』になっていた。

レース展開の序盤は2008年と同じく、スイムの遅れをバイクで取り戻し、先頭集団との差を縮めていく。しかし30名近くなった集団は徐々に意思疎通が図れなくなり先頭集団まで届かず。先頭から50秒差でバイクフィニッシュ。そしてランへ。


1人ずつパスしていきながら粘りながら2年連続の5位入賞!!この時の全日本インカレ覇者はイタリアの世界選手権を共に過ごした岡公記(関西大)!!レースを終えて気になるとのはアレ。


2007年

東京〜香川1500km自転車旅行

2008年

香川〜長崎850km自転車旅行


この頃からは全日本インカレに出場できなかった選手たちが己の脚で現地入り(香川まで自転車移動)する《裏インカレ》が各大学で実施されていた。「周りからも次はどこに自転車で行くの?」と聞かれるようになっていたが、エース栗原はその斜め右上を行く企画をしていた。笑


レース翌日は大学の仲間と大阪に移動。仲間たちはUSJで1日遊んでから東京に向かうと言っていた。大学生の夏休み、青春、思い出作り。大学4年のエース栗原の夏。。。


大阪〜東京550kmラン旅行!

もはや自転車ではなく、ラン。荷物は最小限。洗った服はリュックにひっかけて走りながら乾燥させる。大阪をスタートし、淀川沿いを進みながら京都へ。(淀川沿いを伴走してくれた東野さん)

そこからは国道1号線をひたすら進む。ただひたすらに。テントを背負うことはできなかったので、宿はもっぱら漫画喫茶ナイトパック。60-70km先の場所にある漫画喫茶を調べながら進んでいく。

しかし、実際は閉店時間のある漫画喫茶だったり、そもそも漫画喫茶が存在していなかったり、70kmくらい走ってから「すぐそこに漫画喫茶ありますよ!」と教えてくれた方の《すぐそこ》が3kmくらいあったり。さらに田舎の漫画喫茶にシャワー設備があるはずもなく、公園やトイレの冷水を浴びて1日の疲れと汚れを落としていた。


何より1番の敵は、靴擦れと血豆だった。

どんなに慣れ親しんだ靴も、わずかな擦れが1日走れば痛みを伴い始め、そして腫れあがり、さらに擦れるという日々。足の小指の隣に小指くらいの血豆が出来、それが靴下を毎日赤く染めていた。歩くだけで痛いが、やがて感覚が麻痺すると走れる。

そして迎えた5日目。

300km静岡県静岡市あたりでリタイヤした。

そこから電車で帰ってきたらすごく速い乗り物だった。

というわけで皆さん、電車という速い乗り物を是非ご利用ください。笑

次回、2回目の2009年デュアスロン世界選手権!コンコード大会/アメリカ!!


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