第16章エース栗原回想記
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  • 執筆者の写真エース栗原

第16章エース栗原回想記

2011年アジアデュアスロン選手権と世界デュアスロン選手権


VAX RACINGの一員として全国のヒルクライムレースを転戦しながら、迎えたアジアデュアスロン選手権と世界選手権。


2011.3.11東日本大震災。

東京にいた僕は、近くのイトーヨーカドーでその揺れを目の当たりにした。館内では「外よりも館内の方が安全です」と繰り返し放送され、ふっと外を見ると近くを通る首都高速があり得ないくらい横に揺れていた。


この震災の影響で、アジア選手権遠征を見送る選手もいたが、僕はアスリートとして見ることができる景色を発信・シェアするべく、遠征することを決断した。

アジア選手権の開催されるタイ/チェンセーンは首都バンコクの700kmほど北に位置し、チェンライ空港を経由して車で到着。田舎町ではあるものの、治安は良い。

チェンセーンの近くにはメコン川が流れ、タイ・ミャンマー・ラオスの3国が隣接するエリアでは2000年台までは麻薬の生産地として知られていた地域。今は観光地してこの地区の立て直しがされている。

ゴールデントライアングルのゆえんから金ぴか大仏多数。

東南アジアなのでレースは早朝。エリートカテゴリーとなり、アジアチャンピオンになるためにこの地にやってきた。最新機器のGDRの力も借りて走り出す。

スタートすると賞金狙いのオーストラリア選手と"皇帝"深浦選手と僕の4人集団に徐々に絞られていく。ラスト2kmから僕1人だけがこぼれる形で遅れをとってバイクへ。


バイクではこぎ出しを全開で進み、ぎりぎり先頭集団に追いつく。足並みの揃った4人集団は後続を寄せ付けることなく、走行し勝負の2ndRunへ。ここでは力及ばず。。。準優勝でフィニッシュした。

デュアスロンの翌日にはトライアスロン一般の部が開催され、急遽エントリー!バイクとランはデュアスロンと同じコースで、スイムはもちろんメコン川を泳ぐ!!

しかも流れが速いため上流から下流に向かって泳ぐ?流れる?コース設定。スイムの結果は


スイム1,500m 18分台。笑

とんでもない自己ベストをたたき出し、バイクでは一般レースなのにドラフティング祭りになり、ランで突き放してフィニッシュ。少し賞金を稼げた。

レース後のアワードパーティーではなぜかシリアチームと仲良くなり、「シリアにきて一緒に練習しよう!」と誘われて帰国後外務省HPを調べたら『退避勧告・渡航中止勧告』というやばめな感じで断念。。元気かなぁ、アナス。

9月になると4度目となる世界デュアスロン選手権ヒホン大会/スペインで開催された。U23からエリートカテゴリーとなり始めての世界選手権。マドリードからバスで5時間ほど揺られた場所にある海岸。

フラットな公園内を走り、海岸線沿いをバイクで周回する平坦の多いコース設定。デュアスロン界にも自転車界にもアピールするためにスタートを切る。

スタートをしてから気付く、全然走れていないことに。

言い訳すればキリがないが、大学院での研究とVAX RACINGとしてランをなかなか行わずにいたことがあげられる。

エリートカテゴリーとして出場し、結果はバイク途中で先頭集団にラップされて失格。世界選手権で初のDNFを味わった。

世界選手権でのハマらない走りをなかなかこの年は吹っ切ることができずにずるずると引きずり、カーフマンでもパッとせず、年末にはVAX RACINGのチームとしての方向性とズレが生じたために退団。2012年からはSCOTTライダーとして活動することとなった。


2012年3月にはいよいよ大学院も修了。機材提供や競技活動については支援をしていただけるセミプロにはなっていたが、生活費は別。一人前の《プロ》になれるのか。時は流れていくばかり。


次回、大学院修了後のエースと山梨との出会い。

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