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執筆者の写真エース栗原

第29章エース栗原回想記

2016年世界デュアスロン選手権



レースの時、両親は僕のことを「エース」と呼ぶ。それはレースにおいてはエース栗原正明という選手の一ファンとして応援しているからだと言った。


今でこそデュアスロン やトライアスロンをやっているが、どんな競技をやっていようが、僕にとって最初のファンは両親だ。


大学院卒のフリーターになったり、教員になったのに突如辞めてプロになったり、どれだけ心配かけたか考えたらキリがないし、どれだけ不安にさせたか考えたらキリがない。


だから僕はこう考える。これからたくさんの《ありがとう》を色んな時間や色んな場所で伝えていこうと。

 

5年ぶりの世界選手権の舞台。

アビレスはスペインの北部に位置する都市で、僕が最後に出場した2011年の世界選手権の地ヒホンの隣町にあたる。


日本を発つ空港で日本代表のウェアに身に纏うと気が引き締まるのはもちろん、北杜市の山梨県の日本の代表として挑むレースであることを実感する。

中央:皇帝 深浦選手、右:アフロ田中選手

5年前の世界選手権はバイク途中で周回遅れとなり、DNFだった。だからこそ、あの時を越えるために、そして「ちゃんと帰ってきたぞ」とあの頃の自分にいってやるためにもフィニッシュラインを越えよう。


緊張よりもワクワクがあるのはもう一人じゃないからだろう。

速さだけを求められていると思っていたころと違って、今はみんなで歩んできている感覚がある。

遠く離れた日本の仲間たち、遠く離れたスペインの地で僕は"みんなで"戦う。

選手紹介を受け、歓声を受けながらスタートライン立つ。


「クリ、よろしく。頑張ってこよう」

深浦選手と熱く握手を交わす。


『あぁ帰ってきたなぁ。あとは忘れ物をしっかり取りにいかなきゃ』

そして現地、そして日本からのたくさんの応援に、ありがとうを伝えよう。


レースが始まった。

○1stRun10km

ランコースは会場の出入り口がタイトではあるが、その後は平坦な川沿いを進むコース。スタートからトップ選手はかなりのハイペースで進むので、イーブンペースを心掛けて焦らず冷静に後方からしっかり展開していく。

徐々に落ちてくる選手を拾っていくが、僕自身も辛い。少し前方では深浦選手と田中選手が集団を作っている。終盤はその集団からこぼれた選手が点在し、僕はその選手たちを回収できずに結局1人になってしまった。僕の後ろではまた違う集団が出来ている。


○Bike40km

ど平坦のハイスピードコース。

会場の出入り口付近はタイトなコーナーが続くため、集団後方にいると余計なブレーキングを強いられてしまうし、中切れが起こりかねない。


1stRunを1人きりで走り終えてしまったので、まずは僕は迷うことなく前方の選手を回収するためにペダルに力を込めていく。前の選手が僕と合流してくれる意思の示してくれることを願いながら進めていくが、お互いの距離は縮まらない。


1人ずつ仲間を増やして前方を吸収していきたいところだが、このままでは僕がオーバーペースでだめになってしまう。1stRunのリードが惜しいが追うのを諦めて後方の集団に吸収されるのを待つ。


ほどなくしてU23の三須選手を含む6選手に吸収される。南アフリカとオーストラリアの選手が集団を積極的に牽引していて集団もかなり活気がある。ここに僕も加わって9km地点で前方にいたスペインの選手2人を捕らえた。これで8人集団。


この勢いのまま先を行く深浦選手と田中選手を含む集団まで行きたいところだが、途中合流したスペイン人が集団をネガティブにしている。必至に檄を飛ばしながら、集団全体が減速しないように心掛ける。

しかし、一人の選手だけが無意味に加速してしまうことがしばしばあり、僕自身も足の痙攣に襲われながら、前方集団にじりじり離されながらレースは進んでいってしまう。


そのころメインとなる先頭集団ではアタックがかかり、集団が細分化され、後ろに取り残された大きな集団は勢いを失ってスローペースに、ここに僕らが追いつけなかった深浦選手・田中選手を含む最もアクティブな集団が追いついたところでバイクは終了。


僕は大きな第2集団から90秒遅れの第3集団でトランジッションへ向かう。



○2ndRun5km

バイクからランへ移行するトランジッションを最速で終えて、集団内先頭で2ndRunへ飛び出す。ここまでくればDNFもないし、しっかり走り切ればフィニッシュにたどり着ける。


めちゃくちゃ身体が重いが、絶え間ない声援が身体を前に進めている。

その応援に国も言語も関係ない。『頑張れ!』という気持ちが伝わってくる。

それが僕を一歩ずつ前に進める力となっていた。

日本の代表として必死に前を追う姿を魅せるために最後まで集中をしながら前方のポルトガル選手を追い続けた。そしてラストのコーナーを曲がるところで聞こえた。


「エースー!最後、頑張って!」

それは母の応援だった。


はるか1万キロ離れたこのスペインの世界選手権の僅か2時間のために、目の前を通る時間にしてみればたった20秒くらいのために現地まで来てくれた。


「ありがとう」

最後はフェンスに並ぶ応援者とハイタッチしながら、フィニッシュした。

結果にしてみれば34位。

この数字にたくさんの想いと数えきれない感謝が合わさると僕にとって特別な数字になる。

レース後、母に「ありがとう」と伝えるとこう言った。

「あの人もあなたのこと応援してたから、ちゃんとお礼を言ってきなさい」


母はどこにいても母だった。


プロアスリートは結果を残せるスポーツ選手のことではなく、誰かを応援することができ、そして感謝を言葉と姿で表せるスポーツ選手のことを指す言葉だと思った。

レース後、クールダウンを終えた僕にセルベッサをくれたお兄さん。

ありがとう。


次回、2016年日本デュアスロン選手権

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